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浪速の名ボクサー列伝
牧昭男(1936〜)
元東洋J・フェザー(S・バンタム)級王者
関西初の東洋チャンピオン
関西学生リーグの王者に復活した関西大学は昔からアマチュアの好選手を輩出してきたが、中でも屈指の名ボクサーといえば、今回取り上げる牧昭男ということになるだろう。全盛時には「相手のパンチを一発も触れさせない自信があった」と本人がいうように、クレバーなテクニシャンとして活躍した。
1936(昭和11)年、大阪市出身。浪速商業高校から関西大学と、近畿のアマチュア選手が辿る“エリート・コース”を歩み、58年の全日本選手権ではフライ級決勝で宿敵末吉(明大)に勝ち優勝を果たした。同年東京で開催された第3回アジア大会に出場して金メダル獲得、さらにメキシコで開催されたダイヤモンドベルト大会では銀メダル獲得と、アマチュアでも傑出した輝かしい実績を残している。
通算82勝10敗のアマチュア戦績を引っ下げ、牧が関西の名門ジムのひとつだった中外ジムからプロ・デビューを果たしたのは昭和34年5月。池島久生(東拳)に6回判定勝ちだった。最初の計画になかったプロ転向は、就職のタイミングを失していたための苦肉の決断だったという。当時関西では今のように頻繁に試合が行われることはなく、牧はなかなか試合の機会に恵まれなかった。
3戦目に後の人気選手関光徳(新和)と6回戦で対戦して引き分けが、これは東京に出かけての試合。当時破竹の勢いで台頭してきたファイティング原田(笹崎)とは2度対戦した。最初は61年7月後楽園ジム。ほぼ互角の展開だったが、バッティングで目の上から激しく出血し8回終了負傷TKO負け。3ヵ月後舞台を大阪に移しての再戦は判定負けだった。牧も不世出の名王者原田には勝てなかった……というよりは、牧だったからこそ原田と2度もグローブを交えることができたというべきだろう。原田の10年のリング歴で同じ相手と2度戦ったのは、あのジョフレ、メデルら世界チャンピオン級を除けば、この牧しかいない。
63年12月、当時はOPBFの前身、OBF(東洋ボクシング連盟)のJ・フェザー(S・バンタム)級王者、坂本春夫(極東)に挑戦、12回判定に退けプロ初のチャンピオンベルトを手にした。極東ジムの看板スターだった坂本も、牧にとっては「パンチは見えるし、自分にはやりやすい相手だった」という。この時牧27歳。関西のジムから誕生した初の東洋チャンピオンとなりおおせたとはいえ、牧の実力からすれば遅すぎるチャンピオン獲得だった。実際これは牧のボクサー人生の晩年に当たる。5ヵ月後の初防衛戦では、プリノイ・TRO(タイ)に判定負けして王座を降り、これを最後に、グローブを壁に吊るしている。
プロで10勝6敗3分というのが終身プロ戦績。KOがないのは意外でもなんでもない。「相手のパンチをかわすことを第一に考えて戦っていたので、KOは狙いもしませんでした。打ち合いするようになったんは、肥えて足を使えんようになってからですわ」と牧は言う。プロでチャンピオンになったとはいえ、牧のボクサーとしての全盛はやはりアマチュアの最終年前後だったと思われる。
牧本人にプロで一番強かった相手は誰かと尋ねると、「矢尾板貞雄」の名を挙げた。プロ転向した59年の9月、世界挑戦する直前の矢尾板と公式戦ではなくエキジビションで6ラウンドを戦った。「あんなにうまい人はいなかった。パンチは速いし、どこから飛んでくるか分からない。プロの世界のトップに立つのは大変なことだと感じた」と語っている。
引退後はトレーナーとして金沢英雄、アポロ嘉男らを指導し、その後マキジムを主宰。西日本ボクシング協会の会長も務めている。
提供:ボクシングビート
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